Godzilla vs. Kongを観てきました。正直、人間ドラマにはかなり薄さがあります。人物の事情をもう少し描けば、もっと面白くなったはずなのにと思うところはありました。
でも、怪獣バトル映画としてはかなり楽しめました。
ゴジラとコングが本当に戦う。しかも、どちらか一方だけを持ち上げるのではなく、コングにはコングの見せ場があり、ゴジラにはゴジラの強さがあります。ここはよかったです。
この映画には日本のゴジラ映画のような社会性や強いメッセージを求めていたわけではありません。ハリウッドの大作映画として、ゴジラとコングをどうぶつけるのか。そこを楽しむ映画だと思って見ました。
その意味では、見たいものはかなり見せてくれたと思います。
ただし、人間側の描き方は惜しいです。レン・セリザワやマディソン・ラッセルの扱いを見ると、もっとできたのではないでしょうか。
怪獣映画だから人間ドラマは薄くてもいい、という考え方もあります。でも、この二人は親の世代からゴジラに関わっている人物です。そこを使えば人間側の話も怪獣の物語につながったはずなんですね。
コングはなぜ船に乗せられていたのか
映画はコング側の視点で進みます。髑髏島にいたコングは南極に連れて行枯れることになりました。目的は、ホロウ・アースへの入口です。
劇中ではコングの故郷が地球内部にあるのではないかと考えられています。人間だけではその場所へたどり着くのが難しい。そこで、コングなら本能で道を見つけられるかもしれないと考えたわけです。
つまり人間たちは、コングを案内役として使おうとしていました。
そうなるとコングは少しかわいそうな気もします。髑髏島にいるように見えて実際には巨大な保護施設の中で管理されています。しかも、その施設も彼の体の大きさに合わなくなってきている。空だと思っていた場所に木を投げると、天井に当たってしまう。あの場面でコングが閉じ込められていることがはっきり分かります。
コングは怪獣ですが、ジアとの手話のやり取りもありますし、自分の居場所を探す存在として描かれています。だからコングは人間と意思疎通のできる存在として描かれています。
ただ、船で運ぶ作戦はかなり危ないです。
海はゴジラの得意な領域です。そんな場所にゴジラ級の巨大生物であるコングを船で運なんてゴジラに見つかる可能性を本気で考えていなかったのか、と思いました。実際、ゴジラは現れます。そしてコングは船の上という不利な条件で戦うことになります。
海上戦ではコングはかなり苦しいです。水中に引きずり込まれたら勝負になりません。ゴジラの方が圧倒的に有利です。ここで人間たちは船での移動を諦め、コングを空輸して南極へ向かいます。
この流れは少し強引ですが、コングをホロウ・アースへ連れて行くためには必要な展開だったのでしょう。
ホロウ・アースでコングは自分のルーツにたどり着く
南極からコングはホロウ・アースへ入っていきます。地下世界ではコングは自分と同じ種族の痕跡にたどり着きます。巨大な神殿のような場所があり玉座のような空間があり、そこにはコング族が使っていたと思われる斧もあります。
この斧が、後のゴジラ戦で大きな意味を持ちます。
斧の刃はゴジラの背びれのような素材で作られているように見えます。ゴジラの熱線を受け止めることもできます。コング族とゴジラ族の間には、かつて争いがあったのかもしれません。コング族がゴジラに対抗するための武器を持っていたことは分かります。
これは面白い設定です。
コングは地下世界で自分の種族がかつて存在した場所を見つけます。髑髏島で一頭だけ生き残っていたコングにとって、そこは本当の故郷に近い場所だったのでしょう。
でも人間側の目的は別です。Apex社はホロウ・アースのエネルギーを手に入れようとしています。
この二つが同時に進んでいるので見ていて少し複雑です。ジアがいるからコングの気持ちに寄り添う話に見えますが、企業側だけを見れば、コングを利用しているだけです。
香港でのゴジラ対コングは見応えがあった
この映画で一番見応えがあったのは、やはり香港でのゴジラ対コングの戦いです。
画面はかなり派手です。ビルの照明やネオン、ゴジラの青い熱線、コングの斧の発光、建物の破壊が一気に出てきます。派手な色彩が多く正直、見ていて目が疲れるところはありました。
でも、迫力はありました。
怪獣映画として、ここでゴジラとコングをどう戦わせるのか大事なところです。日米怪獣王の対決ですから、どちらかを雑に扱うと見ている側は納得しにくいですよね。
その点、この映画はかなり慎重に作っていたと思います。
コングにはコングの見せ場があります。斧を持ってゴジラの熱線に対抗し、ビルを使って跳び回り、身体能力を活かして戦います。海上戦では不利だったコングが香港では地形を使って勝負できるようになっている。ここはよかった。
ゴジラも強いです。
コングが斧で反撃し一瞬はゴジラを押し返したように見えます。でも、そのあとゴジラは近距離戦でコングを追い詰めます。四足に近い姿勢で突進し、牙と爪を使って押し切る場面はかなり迫力がありました。
ゴジラは接近戦でも強い。熱線を撃つだけの怪獣ではないんですんね。体格差と耐久力で相手をねじ伏せる。その強さがちゃんと描かれていました。
コングを倒したあと、ゴジラが胸に足を置いて吠える場面も印象的です。怪獣王としての格を失っていません。ここでゴジラが弱く見えたら、日本のゴジラファンはかなり納得しにくかったと思います。
でも、この映画はそうしませんでした。
アメリカ映画なのにゴジラへの敬意がある
アメリカ映画なので、コングを優遇するのではないかと思っていました。
コングはアメリカを代表する怪獣です。しかも本作では、コング側に感情移入しやすいように作られています。ジアとの関係がありますし、故郷を探す話もあります。観客がコングを応援しやすい作りになっているんですね。
それでも、ゴジラの格は落としていません。
これはかなり好感が持てました。
コングを強く描く。
でもゴジラも怪獣王として強い。
どちらか一方だけを持ち上げない。
このバランスがよかったと思います。
もしコングが一方的にゴジラを倒していたら、かなり違和感があったはずです。逆にゴジラが最初から最後までコングを圧倒していたら、コングの物語として成立しにくい。だから香港戦ではコングに見せ場を与えつつ、最後はゴジラの強さを見せる形になっています。
メカゴジラ登場はかなり驚いた
この映画で驚いたのが、メカゴジラの登場です。
ゴジラ対コングの映画として見ているので、二体の決着がどうなるのかが一番気になります。そこにメカゴジラが出てきました。しかも、ただの追加敵ではありません。とんでもなく強いです。
正直、強すぎでは?と思いました。
ゴジラが単独でかなり追い詰められます。コングが加わって、ようやく倒せる相手です。ゴジラとコングが直前まで本気で戦っていたことを考えると、二体が協力するには、そのくらい強い敵が必要だったのでしょう。
ゴジラとコングは香港で一度決着をつけています。あそこまでやった二体が、すぐに協力するには共通の脅威が必要です。しかも、その脅威はゴジラだけでも、コングだけでも厳しい相手でなければならない。そう考えると、メカゴジラの強さは必要だったのかもしれません。
メカゴジラはゴジラ対策兵器として作られています。動きが速く、打撃も強く、ゴジラの熱線を封じるような戦い方もします。疲れていたとはいえ、ゴジラがあそこまで押されるのはかなり衝撃でした。
メカゴジラのデザインは正直かっこよく見えなかった
本作のメカゴジラは強いです。
でも、見た目はあまりよくありません。個人的にはイマイチな出来だと思います。
日本のメカゴジラにはゴジラの輪郭を残しながら、機械としての魅力があります。昭和メカゴジラには、銀色の装甲と悪役ロボットらしい冷たさがありました。平成のメカゴジラは個人的には好きではありませんが。ゴジラをロボットで表現しているんだなとはわかります。機龍は最初のメカゴジラにデザインを似せていましたし、初代ゴジラの骨を使っているという設定があり、見た目にも物語にも怖さがありました。
でも本作のメカゴジラはかなり骨組みが目立ちます。細いし長い。関節の線が多い。ゴジラを機械化したというより、アメリカのSF映画に出てくる大型ロボットを怪獣型にしたように見えました。
ここは残念です。
他の怪獣は日本版への敬意がかなり分かりやすかったんですよね。ゴジラはもちろん、前作のキングギドラ、モスラ、ラドンも、元の印象を大事にしながらハリウッド版として作っていました。見た瞬間に、その怪獣だと分かる形になっていました。
なのにメカゴジラだけ、なぜここまで別方向にしたのでしょうか。
おそらくApex社が作った人工兵器としての不気味さを出したかったのだと思います。人間がゴジラをまねて作ったけれど、本物のゴジラのような生物としての厚みはない。骨格、装甲、駆動部が露出したような姿にして、人工物らしさを強調したかったのかもしれません。
それは分かります。
でも、かっこいいかと言われると、かなり微妙です。
せっかくメカゴジラを出すなら、日本のメカゴジラの銀色の装甲や、ゴジラに似たシルエットをもう少し残してほしかったです。香港の派手な夜景の中で戦うなら、装甲の面で光を受けるデザインの方が映えたと思います。
ギドラの頭部で制御する設定は面白いが説明不足
メカゴジラの中枢にはギドラの頭部が使われています。
ここも面白い設定です。前作でゴジラが倒したキングギドラ。その残された頭部が今度はメカゴジラの制御に使われる。ゴジラにとっては、ただの機械兵器ではなく、過去の宿敵が機械の体を得て戻ってきたような存在になります。
この発想はいいと思います。
ただ、なぜギドラの頭部でなければいけないのかは、映画の中ではやや分かりにくいです。巨大ロボットを作れる技術があるなら、AIで制御してもよさそうです。なのに、わざわざギドラの頭部を使っています。ここには、おそらくギドラの神経系が特別なものだったという理由があるのでしょう。
ギドラは地球由来の怪獣とは違う存在として描かれていました。三つの頭がそれぞれ意識を持つような描写もありました。つまり、ギドラの頭部には巨大生物の反応速度や判断力を再現できる特殊な神経系が残っていたのかもしれません。
Apex社は、それを生体コンピューターのように使ったのでしょう。
人間の操縦では反応が遅い。普通のAIではゴジラ級の怪獣に対応しきれない。だから、ギドラの神経系を使って、メカゴジラを怪獣のように戦わせようとした。そう考えれば、ある程度は納得できます。
さらにホロウ・アースのエネルギーが流れ込んだことで、ギドラの頭部に残っていた意識のようなものが目覚めたのかもしれません。その結果メカゴジラはApex社の兵器ではなく、ギドラの意思を持った機械怪獣に近い存在になった。
こう見ると、メカゴジラが暴走する理由も分かります。
ただし、映画の説明は足りません。
なぜギドラの頭部が必要だったのか。ギドラの意識は本当に残っていたのか。ホロウ・アースのエネルギーで何が起きたのか。ここをもう少し描いてくれれば、メカゴジラの怖さはもっと強くなったと思います。
人間ドラマは正直かなり薄い
この映画の人間ドラマは正直かなり薄いです。
もちろん怪獣バトル映画なので、人間ドラマをそこまで細かく求める作品ではないと思います。ゴジラとコングが戦い、メカゴジラが出て、最後に二体が協力する。その流れが面白ければ、映画としては成立します。
実際、怪獣バトルは楽しかったです。
でも、人間側に時間を使うなら、もう少し使い方を考えてほしかったですね。
コング関係者は必要です。アイリーン博士とジアがいるから、コングの感情が伝わります。ジアとの手話があることで、コングはただの巨大生物ではなく、心を持つ存在として見えます。コングがホロウ・アースへ向かう理由も、ジアの存在によって自然に見えます。
モナーク関係者も必要です。ホロウ・アースやタイタンの調査を説明する役割があります。
Apex社も必要です。人間が怪獣を管理しようとし、その結果メカゴジラを作ってしまう。その欲望を表すために、企業側の人物は必要です。
でも、陰謀論者と少年少女の潜入劇は、最初からなくてもよかったのではないでしょうか。
マディソン、ジョシュ、バーニーの三人は、Apex社の秘密を観客に見せる役割を持っています。誰かがApex社の内部に入らなければ、メカゴジラやギドラの頭部の存在を見せにくいからです。
でも、その展開が面白かったかというとそうではありません。
危険な企業施設に潜入しているはずなのに緊張感があまりありません。会話は軽く、調査も都合よく進みます。最後にメカゴジラを止める場面も、ギャグ寄りの解決になっています。
必要ですか?この部分。
その時間があるなら、レン・セリザワやマディソンの事情を描いてほしかったです。
レン・セリザワはもっと描けた人物だった
レン・セリザワは、かなりもったいない人物です。
名前を聞いた時点で、前作の芹沢博士との関係を想像しましあ。芹沢博士は、ゴジラを地球のバランスを保つ存在として見ていました。そして最後にはゴジラを復活させるために自分の命を差し出しました。
その息子と思われる人物が今作ではメカゴジラの開発と操縦に関わっています。
父はゴジラを救ったが、息子はゴジラを倒す兵器に関わる。これは面白い関係です。
でも、映画ではレン・セリザワの背景は語られません。レンが父をどう思っていたのか。ゴジラをどう見ていたのか。Apex社に協力している理由は何なのか。そこが分からないままメカゴジラに接続し、最後は巻き込まれて退場します。
これは本当に惜しいです。
たとえば、父が怪獣研究に人生を捧げたことで、家庭が壊れていたのかもしれません。父は家族ではなく、ゴジラを選んだ。息子にはそう見えていたのかもしれません。
あるいは、ゴジラのせいで父が死んだと感じていた可能性もあります。実際には、芹沢博士は自分の意思でゴジラのもとへ向かいました。
でも、家族がそれをそのまま受け入れられるとは限りません。父はゴジラのために死んだ。自分は置いていかれた。そういう感情があっても不思議ではありません。
もしそうなら、レンがApex社に協力する理由が見えてきます。Apex社長の野心だけでは、メカゴジラはただの企業の作った兵器です。でも、そこにレンの父への反発や、ゴジラへの複雑な感情が入ればメカゴジラは芹沢家の親子関係まで背負う存在になります。
それをやらなかったのは、かなりもったいないです。
マディソンも博士の娘としてもっと使えた
マディソン・ラッセルも、もっと描けた人物です。
前作を見ていれば、彼女はただのゴジラ好きの少女ではありません。
彼女はゴジラ キングオブモンスターズに登場したエマ・ラッセルとマーク・ラッセルの娘。エマ・ラッセル博士は怪獣を目覚めさせることで地球を回復させようとしました。その結果、多くの被害が出ました。父マークは怪獣に息子を殺されたことで最初はゴジラたちに強い拒否感を持っていました。
マディソンはその両親の間で怪獣を見てきた人物です。だから本来なら、彼女がゴジラを信じる理由には、もっと深い背景があるはずです。
母は怪獣に未来を託しすぎた。
父は怪獣への怒りから始まり、最後にはゴジラの役割を認めた。
その娘のマディソンは両親の失敗と変化を見たうえで、それでもゴジラが理由もなく人類を襲うとは思えない。
こう描けば、彼女がApex社を疑う理由にも説得力が出ます。
でも、本作ではそこがほとんど出ません。前作から続投しているのに、母への思い、父との関係、怪獣に対する複雑な感情があまり描かれません。そのため、今作だけを見ると、ただの熱心なゴジラファンのように見えてしまいます。
これは惜しいですね。
マディソンは、レン・セリザワと対比できたはずです。
レンは、父がゴジラに命を捧げたことを受け入れられず、ゴジラを倒す側に立つ。
マディソンは、母の失敗と父の変化を見たうえで、それでもゴジラの行動には理由があると信じる。
この二人を描けば、人間ドラマが怪獣の物語とつながります。
親の世代がゴジラに人生を変えられた人物たちが、それぞれ違う形でゴジラに向き合う。これはかなり面白い材料です。
でも映画では、レンもマディソンも十分に使われていません。陰謀論チームの潜入劇に時間を使うなら、その分をこの二人に使ってほしかったです。
日本のゴジラを理解してくれる作り手に託してほしい
Godzilla vs. Kongを見て思ったのは、ゴジラというキャラクターの強さです。
日本で生まれた怪獣がアメリカ映画の中でキングコングと並び立つ。そして、ただの敵役として消費されるのではなく、怪獣王として扱われる。これはすごいことだと思います。
アメリカ映画だからコングが優遇されるのではないかと思っていましたが、そういう単純な作りにはなっていませんでした。ゴジラへの敬意は感じました。そこはかなり好感が持てます。
日本の知財を海外で使うなら、少なくとも作品への理解と敬意がある人に任せてほしいです。名前だけ借りて、元の魅力を壊すような使い方をされると、見ている側は納得できません。
その点、この映画はかなり楽しめました。
人間ドラマは薄い。
でも、怪獣バトル映画としては面白い。
メカゴジラのサプライズもあり、ゴジラとコングの共闘も見られる。
細かい不満はありますが、ゴジラとコングが同じ画面で本気で戦う映画としては楽しめるエンターテイメント作品でした。


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